藤田倭、通算200打点!女子ソフトボール界を牽引してきた“二刀流”の軌跡

2025年6月15日、ビックカメラ高崎 BEE QUEENの藤田倭選手が、通算200打点を達成しました。
この記念すべき一打は、JDリーグ第9節日立サンディーバ戦(石川スポーツグラウンドくろいそ野球場)で放ったツーランホームランでした。まさに藤田選手の長年にわたる活躍の証とも言える一打となりました。
女子ソフトボール界の二刀流
長崎出身の藤田倭選手は、佐賀女子高校から実業団入りし、エースピッチャー兼強打者として長年にわたりチームを牽引してきました。
2009年に太陽誘電に入団し2020年までの12年間を経て、2021からビックカメラ高崎に移籍し現在に至ります。
太陽誘電では絶対的エースとして実に12シーズンにわたってチームを支え、特に2016年・2017年には日本女子ソフトボール1部リーグで2年連続準優勝という好成績を収めました。
2021年、ビックカメラ高崎へ加入1年目にしてリーグ優勝を果たした藤田選手は、優勝記者会見で次のように語りました:
「新しいチームに迎えてもらい、不安もありましたが、みんなのおかげでこの景色を見ることができました。本当に感謝しています」
「ピッチャーとしても、バッターとしてもチームの勝利に貢献できるよう全力を尽くしました。優勝できたことが何よりうれしいです」
移籍の不安を抱えつつも、太陽誘電時代から培った経験を存分に発揮し、ピッチングとバッティングの両面で重要な役割を担った姿勢がうかがえる感動的なコメントです。
通算200打点――歴代2位の記録
今回の記録達成により、藤田選手はJD.LEAGUEおよび前身の日本女子ソフトボールリーグにおける通算打点数で歴代2位の200打点を達成しました。
この数字は、歴代1位・山田恵里選手(元デンソー・日立、通算219打点)に次ぐ記録であり、藤田選手は今後のシーズンで歴代最多記録の更新を視野に入れる位置につけています。
順位 | 選手名 | 打点数 | 所属(主) |
---|---|---|---|
1位 | 山田恵里 | 219 | デンソー・日立 |
2位 | 藤田倭 | 200 | ビックカメラ高崎 ・太陽誘電 |
通算200打点という記録は、藤田選手の長年に渡る活躍の証。そして、その先には、山田恵里選手の219打点という“歴代最多記録”が待っています。
これからも、一打、一投、一瞬を見守り、次なる記録更新、そして新たな伝説のはじまりを楽しみにしています。
🏅 藤田倭 選手経歴まとめ
年 | 年齢 | 経歴・実績 |
---|---|---|
1990年12月18日 | 0歳 | 大阪府生まれ(その後、長崎県佐世保市へ転居) (ja.wikipedia.org) |
~1995年 | 5歳 | 佐世保市でソフトボールを始める |
– 中学 | – | 佐世保市立崎辺中学校(ソフトボール部所属) |
高校 | 約15–18歳 | 佐賀女子短期大学付属佐賀女子高校進学。高校総体優勝(1年):国体2連覇(2~3年) |
2009年 | 18–19歳 | 太陽誘電に入団、投手としてプロ始動 |
2011年 | 20–21歳 | 投手に専念し6勝(7敗)で頭角を現す |
2012年 | 21歳 | 日本代表に初選出。世界女子ソフトボール選手権で金メダル |
2014年 | 23–24歳 | 投打両方で大活躍:12勝3敗で最多勝、本塁打4位、打点3位 |
2016年 | 25–26歳 | 【投打三冠】最多勝(14勝)、本塁打王(8本)、打点王(20打点)、MVP受賞 |
2017年 | 26–27歳 | 最多勝(13勝)受賞 |
世界大会 | – | 2012・2014年世界選手権、2014・2018年アジア大会などで代表として活躍 |
2020年 | 29–30歳 | 東京五輪代表。2試合投手登板し7打点(大会最多本塁打3本)で金メダル獲得 |
2021年 | 30歳 | ビックカメラ高崎へ移籍し、移籍1年目で日本リーグ優勝(記者会見コメントあり) |
2022年 | 31歳 | JDリーグ東地区最多打点賞(33打点)、東地区ベストナイン受賞 |
2024年 | 33歳 | JDリーグ東地区最多本塁打(11本)、東地区ベストナイン受賞 |
2025年6月15日 | 34歳 | ビックカメラ高崎で通算200打点達成、歴代2位 |
Photo 2025.6.15







